第6章 『過去と未来をつなぐ絆』2

 外に出てきた後藤を見かけてから、ずっと横目で伺ってた。
 屋上を見上げてたから、きっとここで休憩するだろうと待ち伏せてたのだが、
現れた後藤はオレを見て固まってしまった。
 正直、驚かれるのは予想範囲内だが、固まるとは思ってなかったので、理由を想像して内心ショックを受けた。
『そーだよな、記憶ないんだし、一人になりたいって思ったりもする・・か・・』
 そういう選択肢が自分の思考から抜けてることにも、自分が居ても拒絶されないだろうと勝手に思っていた自分の思考にもショックを受けた。
 だから、言いたくはなかったが邪魔なら戻る、と告げた時、後藤が慌てて自分を引き留めてくれて、正直安堵する。

 気持ちがいいからと裸足でいたら、「怪我したら大変だ」と後藤に心配された。
『なんだよ、こういうトコは全然変わってないじゃん』
 この辺は大丈夫だからと主張すると、後藤は何だか「納得はしてないが、達海の気持ちも尊重したい」というのがありありと分かる表情で「しょうがないな」と微笑んでくれた。

 ・・・・・ああ、その顔は。
 記憶があってもなくてもその笑顔は変わらないんだな、と変な感慨を抱く。
 あまりにもいつも通りの反応と笑顔に記憶がないなんて嘘なんじゃないかとさえ思う。
 見慣れている表情に、こんなに自然体でいるのになぜ自分を思い出さないんだ、と達海は理不尽な怒りにも似た感情に支配されそうになり、慌てて手元のパンを齧る事でやり過ごしたのだった。


          ◆◇◆


 ご飯を食べながら後藤は、敗戦した昨日のことよりも先にビデオを見た時の感動を伝えたくなって、達海の方を向いた。
 すると、達海は袋からもう一つサンドウイッチを取り出してていた。
『あれ・・・?また、“たまごサンド”・・・?』
「お前、ホントたまごサンド、好きなんだな」
「え?」
“たまごが好き”って何だか微笑ましい気がして、特に何も考えずに口に出したら、
達海は驚いた顔でこちらを見ていた。
「ほら、この間も『何食べに行くか』って言ったら、『たまごサンドがいい』って・・・たまごが好きなのか?」
「この間?」
「ああ。そこの新しく出来たパン屋のやつ」
 どうしたんだろう。
 そんなに変な質問だっただろうかと後藤が思った時。

「お前が退院してから、まだ昼とか一緒に飯食いに行ったことないはずだけど」
「!!」

 達海のその言葉で、初めて矛盾に気がついた。
「そう・・・だった、よな・・・。あれ・・・・?」
 そうだ。
 だからもっと話をしなくては、と思っていた位なのだから。
 だが、後藤の中では確信があった。
「でもお前、たまご料理結構好き・・だよな?特に、それ・・・・」
 そう言って達海の手の中にあるたまごのサンドを指差すと、達海は少し嬉しそうに頷いた。
「ああ、まーね。そーゆーとこは、覚えてんのか・・・・」
 そうか・・・・!
 これは、達海に関して俺が“覚えてる”ことなのかと気がつく。

「確かに・・・これは“覚えてた”。良かった・・・お前の記憶、俺の中にちゃんとあるんだな」
「え・・・」
「随分親しくしてたみたいなのに、永田さんのことも、お前のことも一向に戻らないから、実を言うと俺の中に“思い出”が存在してないんじゃないかって、少し不安に思ってたところだった」
「後藤・・・」
「でも、ちゃんとあった。それに、昨日見た映像でもお前と俺は同じフィールドに立って共に戦ってた」
「映像って・・・・それ過去の、現役の時のか?」
「ああ。何か戻る切っ掛けにならないかと思って片っ端から見てたんだ。結局完全には戻らなかったけど、その試合の事は覚えてるっていうか、思い出したことが幾つかあったよ」
「本当か?」
 達海は驚いて、身を乗り出してきた。
「―杯で優勝した時、お前が逆転弾入れて試合が終了すると、俺のところに来てくれて」
「ああ、うん」
「お前に飛びつかれたのはいいとして、他の奴等もいっぱい飛びついてきたから、支えきれなくて潰れたんだよなって、映像に映る前に“思い出して”たんだ」
「・・・・・」
「他にも、映像にはなかったけど、その後、お前をパッカ君に持っていかれちゃったこととか」
「ん・・・そうだった・・・か?」
 その辺の記憶はもう既に達海の中では曖昧らしく、首をひねっているが、後藤の中では“思い出”としてちゃんと蘇っていた。
「そう。でもホント・・お前ってすごい奴なんだな」
 映像を見て、そこにいた達海の凄さに驚いて感動したことを思い出す。
「どしたの、いきなり・・」
「いや、映像を見ててさ、鳥肌が立つなんて中々ないよ。それぐらいお前が凄くて・・感動したんだ」
 高揚してきた気分のままに後藤がそういい募ると、達海はその熱意にちょっと驚いたのか、動揺した様子で
「お前だって・・いただろ、その中に」
と言って、手にしたサンドを齧り始めた。
「ああ。でも見てる時、お前と同じ時間軸でこのフィールドに立ってる自分自身が羨ましく感じたよ。きっと、あの中にいた俺も、前方駆けているお前を見て、感動のあまり震えてたかもな」
「それは・・ねーだろ」

 最初に見た時は自分が映ってても実感が沸かず、なんだか他人を見てるようだった。
 だから、達海と共にその場で笑いあってる自分を見て、後藤はなんだか嫉妬に近い感情が沸いて、自身でも驚いた位だ。
 
 達海は後藤に手放しで褒められて、照れているのか、気持ちが悪いのか、何だか居心地が悪そうに呟いている。
「いや、あるって。記憶がなくて初めて観たような俺でさえ、こんなに感動してお前に心惹かれるんだ。
ずっと傍にいて共に戦っていたという以前の俺ならきっと、もっと・・・!」
 そこで言葉が途切れた。
 達海にどれ程自分が感動したか伝えようと、興奮したまま脳裏に浮かんでくる言葉を紡いでいたが、突然言葉が消え失せたのだ。
 
『俺は・・今、何て言おうとしていた・・・?』

「もっと・・・・・何?」
 気がつくと、目の前で達海が真剣な瞳をしてこちらを見ていた。
 後藤の中にある言葉を、誤魔化さずに正直に云え、と言われている気がして目を逸らせなくなる。
「・・・・・・・・」
 見つめているうちに、失われた言葉が蘇ってきた。
 伝えても、いいだろうか・・・?
 達海の瞳の中にどこか縋るような影を見た気がした瞬間。
 


「もっと・・・・どうしようもなく、お前に夢中だったと思う」



 後藤の口から言葉が零れた。
 それを聞いた達海の瞳に、はっきりと『歓喜』の感情が表れた。

「・・・そうか」

『あれ、達海・・・喜んで、る?』
 達海の表情に安堵したのも束の間、よく考えたら酷い感想だ。
「どうしようもなくお前に夢中」なんて男が男に向かって吐く台詞じゃない。
 後藤的には本当にそう思ってはいるのだが、正直そんなこと言われたら気持ち悪いはずだ。
 そう思い至り一瞬血の気が引いたが、言われた本人は何だか満足そうに頷きながら、とんでもない事を言い出した。
 
「そうかそうか。さてはお前、オレの虜になったろ?」

 フフンとちょっと偉そうに、大胆な台詞をこともなげに吐いている。
 言われた言葉の意味に一瞬驚いて唖然としたが、あまりにも堂々としてるので、
そんなところも達海らしいとついつい笑ってしまった。
「ハハッ・・・・虜に、か・・・そうだな。うん、正にそんな感じだ」
 言われてみれば、なんてしっくりくる言葉だろうと、正直に肯定してやると、
達海はまたもや予想外の反応を返してきた。
「・・・・・・・・へ?」
 後藤の言葉に小さく驚き、途端に頬を上気させて顔を逸らしたかと思うと、動揺も顕わに言葉を発する。
「な、何だよ、それ・・・冗談、だっての・・・・」
「あれ、冗談なのか?」
「お前、本気で言ったのか?」
「まあ、うん」
 改めて本気か?と聞かれると何やら気恥ずかしいが、その通りだし頷くと、達海はギクシャクとした動きでこちらに向いていた首を逸らす。
 更に顔を赤くしながら「あ・・・・ああ、そう・・へぇー・・・」 と呟いた。
 
 さっき、既に「お前に夢中だ」と言われてるのに、そっちはスルーで「お前の虜だ」って言われたら、この反応だ。
 達海のツボがよく分からないが、後藤からそんなことを言われても嫌悪されなかったことに、ひとまず安堵した。
 達海の方を見ると、自分で言っておいて気恥ずかしくなったのか、手にしたたまごサンドをひたすら食べている。
 頬を上気させたまま食べ物を頬張っている姿は小動物のようだ。
 
『何だか・・・達海って可愛いな・・・・』
 
 微笑ましくなって、くつくつと笑っていると気がつかれた。
「ん?」
 顔を上げた達海の口元にたまごのマヨネーズが付いている。
 頬張るときに付いたのに気が付いてないみたいだ。
「達海、口にたまごのやつ、付いてるぞ」
 そう言うと、右手で右の口元に手をやっているが、そっちじゃない。
「ああ、そっちじゃなくて・・・・・こっち」
 取ってやった方が早いと、手を伸ばして左の口元についてるのを指先で拭ってやる。
 指に付いたやつは特に何も考えず、ぺろりと舐めてしまう。
 すると、それを見た達海は、何故か驚いてじっと後藤の指を見ているようだった。
 「達海・・?」
 「あ、いや、なんでもない。・・・あんがと」
 そう言って食べ終わったごみをくしゃくしゃと丸めて袋に放り込んでいた。
 やっぱりこっちを見ない。
 『照れたり、気まずいと目を逸らすのが癖・・なのか・・?』
 それでもどことなく嬉しそうに見えるのは、後藤の希望だからだろうか?


          ◇◆◇


後藤って、こんな男だっただろうか・・・?
達海はサンドウイッチを食べながら自問してみる。
確かにいつもは冷静なのに、時々すごく熱くなったりする面は知ってる。
でも、あんなことを臆面もなくさらっと言うような奴だったか?

「どうしようもなく・・・・お前に夢中だったと思う」

 そう言われて、「ようやく聞けた」と思った。
 記憶があった時には、自分には言わなかっただろう言葉だ。
 でも、それが後藤の中にある本音だと思うと、喜ばずにいられなかった。
 だからと言って、諸手を上げて喜ぶわけにもいかないから「俺の虜だろう?」と茶化してやったのに、あいつときたら。
 ・・・・・・真顔であっさり肯定ときたもんだ。
『そんなわけないだろ?』
『何をいってるんだ、お前は』
 達海はそういった答えが返ってくると思っていたのだ。なのに。
「うん、正にそんな感じだ」・・・ってお前。


『それって、記憶あってもなくても俺のこと好きになってるのか?』


 そうだよな?
 なんだよ、それ・・・。
 そんなこと知らされて、どんな反応しろってんだよ。
 顔どころか全身が熱くなってるのを感じる。
 ・・・ああもう。
 なんでこんなに嬉しいんだ、ちくしょう。
 なんだか後藤に負けた気がして悔しい、と残っていたサンドをガツガツ食っていると、それが口についてると指摘された。
 気がつくと手が伸びてきて、それを拭ってくれた。
『ああ、こんなトコは前と変わらないんだな』
とぼんやりしてたら、拭った指をぺろりと舐めているではないか。
「!」
 普通は舐めないよな?
 その辺の紙とかで拭くよな?
そう思ってちょっと驚いたが、その舐めてる仕草と、長い指を見ていたら、
あろうことか益々身体が熱くなってきて流石に焦った。

 そう。
 きっと後藤はあっさりとあんな台詞を言ったけど、それはある意味、とても綺麗なものなのだろう。
 今の後藤がオレを好きだと思う心は、純粋な好意の塊だと思う。
 だけど、オレが後藤に対して抱くこの気持ちは、もっと直接的に色々と含まれているのだ。
 だから、指を見て欲情したなんて悟られたくなくて、らしくもなく目を合わせられなかった。
 後藤はオレのそんな葛藤にも気づかず、続けて話しかけてくる。


「心配ついでにもう一つ、聞いてもいいか?」
「いいけど」
「昨日バスに乗る時に何か揉め事があったって聞いたんだが、何があったんだ?」
「ああ、あれね」
 横に置いてあった炭酸飲料に手を伸ばして一口飲むと、結果を端的に話してやる。
「サポーターにリストバンド、投げつけられただけ」
「えっ?・・・・怪我とか・・・」
 それを聞くと急に顔つきが変わって腕を掴まれたと思ったら、全身を目でチェックされた。
「いや・・・投げられたのそれだけだったし、絡まれたりとかなかったから・・」
「そうか・・・良かった」
 後藤の真剣さに思わず息を呑んで自分は無事だからと伝えると、
あからさまに安堵の息を吐いたのを見て、達海をどれ程心配したかが知れた。
「狙われたのって、お前だった・・のか?」
「いや・・・多分椿、だと思う。でも昨日の試合じゃオレが受けるべきだったし」
「椿か・・・お前、椿を守ったんだな。あいつは結構繊細だし、直接当てられてたら、相当堪えたと思う。
よく守ってくれたな、GMとしても礼を言うよ」

 うん、やっぱりコイツは後藤だ。
 本質的なところは変わってないし失ってない。
 そのことがやけに嬉しい。
 コイツが分かってくれてればいい。
 
「そんなんいらねーって」
「それにしても、俺が居ない時に・・・・傍に居たら、絶対当てさせなかったものを・・・」
 後藤はその場に居なかった事を悔やんでいるというか、自分に苛立ってるようで、達海にはそれが理解できなかった。

「なぁ・・・なんで?」
「え?」
「お前がそんなに怒りを感じるようなこと?ぶつけられたのってオレだし・・・・」
「・・・・・・だからだよ。」
『オレ、だから?』
「これは、俺の勝手な我侭だけど、なんでかお前が傷ついたり傷つけられるのを見たくない。お前を攻撃しようという他人を許せないだけだ」


「!!!」


 この台詞を後藤から聞いたのは、実は二度目だ。
 前に生卵をぶつけられた時に言われたことがある。

『んだよ・・・記憶なんてなくても、後藤は後藤じゃん・・・』
 記憶を失う前の後藤には、かなり好かれている自信があったが、
記憶が抜けてまっさらな状態で出会ってるのに、ここまで心配してもらえる程、心を向けて貰えたなら。

『・・・・・オレ、結構脈ありじゃねーか?』

 そう思ったら、なんだか忘れられて苛立ってた自分が馬鹿みたいに思えてきた。
「後藤。その台詞、オレ十年前にもお前から聞いた。すげー嬉しい言葉だよ。
・・・・ホントに記憶戻ってないんだよな?」
「えっ?あ、ああ」
 苦笑交じりにそう尋ねると、小さく驚いて、いつのことだろうと思い出そうとしている。
 改めて後藤の方に向き直り、近づく。
 それに気付いたのか、後藤もオレの方を向いて疑問を顔に浮かべこちらを見ていた。

 達海は突然、後藤の襟首を両手で掴んで自分の方へ引き寄せた。
「!た、たつ・・」
 驚く後藤を無視して至近距離まで顔を近づけ、その瞳を覗き込む。
 穏やかな夜のような漆黒の瞳。
 同じ黒でも硬質でなく柔らかい光を放っているのが後藤らしい。
 ふっと笑うと達海は一気に言い放った。



「だったら、無理に思い出さなくていーよ。・・・・・もう一度、好きにならせるまでだ」