第6章 『過去と未来をつなぐ絆』1

 ETUが完敗を喫したその日。
 後藤は経過報告の為に病院へ赴いていた為、リアルタイムで試合を観ることが出来なかった。
 クラブハウスへ帰ると、スタッフ皆が暗く沈んでいたので勝敗が知れた。
 スコアを見ると3−1とある。
『3失点?それは・・・痛いな』
 それにしても珍しい。
 最近はチームも調子が良く勝利、若しくは引き分けという状態に持ち込めていた。
 それに、失点はたいてい1点までで抑えていたのだ。
 一体今日は何が起こったのだろうか・・・・?
 後藤はその対戦記録をダビングし、家で見ることにした。
 グラウンドを見ると、まだ選手達は帰ってきていない。
 
『達海は・・・・大丈夫だろうか?』

 ふと、後藤は達海の姿を思い出した。
 何故か最近、達海のことが気になってしょうがない。
 あの絵葉書を見てからだ。
 なるべく早く彼の記憶を取り戻したくて、色々家にあるビデオを見たり、クラブハウスの記録を見たり、
色んな人に聞いて回ってはいるのだが、一向に蘇ってくれない。
 『本当に自分の中に、彼との思い出って・・あるのか?』
 そう思うほどに思い出せない。
 いや、断片的に残ってると思われるものは感じている。
 しかし、思い出せそうだと思った時、何かが邪魔をしてるように感じるのだ。
『何故だ・・・?何か思い出しては都合が悪いことでもあるのか・・・?』
 そう考えた時、それは正解のような気がした。

『まさか・・・思い出したくない事があるから・・思い出せない、のか?』

 それは困る。
 思い出さない方がいいとしても、今、自分は彼を思い出したいのだ。

 そういえば、他の人たちの記憶は話すことで戻ってきているが、達海と有里の記憶は戻っていない。
 しかも肝心の達海とは退院してから殆んど二人で話していない。
 たまに、廊下で会うと声を掛けたり、スタッフルームに達海が顔を出す事で話はしていたが、殆んど短い時間だ。
 病室にいた時の方が色んなことを話せていた。
 だが、達海も今は監督という多忙な立場だ。
 出来る限り邪魔をしたくない。
 だから「食べない、寝ないときがある」等色々と話を聞いて心配になっても、
『今、分析中で集中してるかもしれない』と思って、気軽に部屋に話しに行くことも出来なかった。
『ああ、でも・・・もう少し話をしたいな・・』
 やはり、話さない事には記憶を取り戻せない気がした。
『やはり、明日にでも話しかけてみよう』
 そう決めると、後藤は一足先に自宅へ戻った。


          ◆◆◆


 翌日、クラブハウスへと出勤した後藤だが、足取りが重かった。
 昨夜見た試合の内容が、最近のETUとは思えない程に乱れていたからだ。
 技術が相手に負けているわけではない。
 それよりもっと根本的な・・気力的に皆の集中力が欠けてるのが気になった。
 そして、だれよりも集中力を欠いていたと思われるのが達海だ。
 日本に戻って以来の公式戦は全て見せて貰っていたが、そのどの時も彼がこんなに崩れているのは見たことない。
 完全に采配負けと言っていいだろう。
 一体、昨日は彼に何があったんだろうか?
 あまりに気になってしまったので、用事のあった経理や広報のスタッフに、昨日達海に何かあったのかと聞いてしまった。
 すると、広報の情報では帰りのバスに乗るときにサポーターと揉め事があったらしいとのことだった。
 それを聞いた時、頭の中に反応するものがあった。
『バス・・・サポーター・・・?』
 だが、それ以上は出てこない。この詳細は後で達海や松原さんに聞いて確かめようと決める。
 それにしても、その件は試合後に起きている。
 達海の不調の原因は分からない。


          ◆◆◆


 応接室から戻る廊下で、後藤は女医と鉢合わせた。
「あら、後藤さん。昨日はどうだった?」
「お疲れ様です。無事報告しましたよ。打撲も完治したようだし良好だそうです」
「そう、良かったわね。まだ戻ってない記憶ってあるの?」
 こうして殆んどの仕事を難なくこなせているせいか、記憶を失ってるように見えないらしい。
「ええ・・残念ながら。広報の永田さんと達海監督が・・」
 流石に幾分言いよどんでしまうが、正直に話す。
「そう・・・やはりあの二人は難関だわね」
「やはり・・・?」
「説明されなかった?貴方のような逆向性部分健忘だと自分や近しい人間の記憶ほど濃く抜け落ちるって話」
「ああ、そう言われましたね」
「貴方のプライベートは存じ上げないけど、この中に限って言うなら広報チーム、スタッフ幹部、そして監督は近しい存在だわ」
「その・・・ようですね」
「だから難関だって言ったの」
「成る程・・その二人ってそんなに自分と親しくしてたんですか?」
「私の知る限りでは・・・“仲良し”だったわね」
「な、仲良し・・・・ですか?」
 なんだか小学生レベルのようだ。
「平たく言うとってことよ。心を開いてたっていうか・・・ああ、逆ね」
「逆?」
「そう。二人から心を“開かれてた”という方が正しいと思うわ」
 
 それは・・・・何というか、本当ならかなり嬉しい言葉だ。
 思わず笑みがこぼれてしまう。
「そうなら・・・かなり嬉しい話ですね」
「フフ・・・これについては結構自信あるわ。その証拠と言ってはなんだけど、達海さんなんて貴方の記憶が失われてると分かった日は一睡もしてなかったし、昨日も脈拍が乱調で精神的にも落ち着いていなかった」
「!」
 一睡もしてないとは初耳だ。
 だが、自分のせいで他人の記憶が失われたと思ったら流石にショックだろう。
 なんだか、自分が記憶を失ったばかりに、達海に悪い事をした。

『脈拍が乱調で精神が不安定・・・・』
 昨日の達海は体調的にも不安定だったと判明して、益々心配になってしまった。
「とにかくこの二人とはもっと話す機会を持つといい。そう簡単には戻らないだろうから焦らないようにね」
 気の弱い人が聞いたら落ち込みそうなアドバイスを落として女医は去っていった。


          ◆◆◆


 午前中から作成していた次回の会議用資料を纏めることが出来たのは、通常のお昼休みを一時間程過ぎた頃だった。
 後藤は軽く首を回すと時計を確認し、昼食の為に休憩を取る事にした。
「会長、ちょっとこれから昼食とってきます」
「ああ、ゆっくりしてきたまえ」
 それには苦笑しながら、スタッフルームを出る。
『さて、どこに食べに行くか・・・』
 外に出ると、晴れていい天気だ。
 今日は気持ち良い風も吹いている。

「ボールもっと廻せーっ!」
「ワンタッチでいけ!」

 すぐ傍のグラウンドからコーチ陣の声が響いてくる。
 昨日の反省も踏まえてより熱が入っているであろう練習風景をしばし見つめるが、ふとチーム旗が翻るのを見上げたら、屋上が目に入った。
『ああ・・・あそこで食べようかな』
 グラウンドも一望出来るし、風も通って気持ち良さそうだ。
 後藤はそう決めると、行き先を近くの弁当屋にした。

 栄養バランスの良さそうな幕の内弁当を手にクラブハウスへ戻ってくると、練習は一旦終わり休憩になっているようだった。
『なんだ、休憩のタイミング同じだったのか』
 それなら、達海に声を掛けたかったなと後藤は思ったが、既に何処かへ出てしまってるだろうと考え、当初の予定通り屋上へ向かうと、予想外の人物がそこに居た。


「達海・・・・?」
「やっぱ、来たな」
「え?」
「お前、さっき外に出てこっちの練習見てるなーって思ったら、急に屋上見上げて突っ立ってたから、
時間的にもメシをここで食うんじゃないかって思って待ってた」
あろうことか、全て見破られていた。
「お前は・・・エスパーか?」
 思わず呆然として呟くと、プッと笑われる。
「違ぇーよ、単なる推測。幹部室行ったら、後藤は昼だって聞いたし、帰ってくるところ見えたから」
「そうか・・・」

 見られてることすら全然気がつかなかった。
 俺はそんなに分かりやすい表情や言動をしてるのだろうか?
 それとも、達海には俺の考えそうな事がお見通し・・・・とか?
 いや、でもそれってちょっとまずくないか?
 考えてる事がお見通しって、まずい・・・まずい?なんで?
 
 後藤はしばし、脳の中であらゆる思考が高速で飛び交い混乱した。
 すると、固まってる後藤を見た達海が、決まり悪げに頭をかいて
「あー・・・悪ぃ。ひょっとして、一人になりたかった・・・とかか?」
と言って、だったら、オレ部屋戻るし・・と呟きながら、下に置いてあったコンビニの袋を取ろうとする。
「あ!いや、違う!今ちょっと混乱して・・」
 後藤は我に返り、慌てて達海を引き留める。
「混乱?」
「ああ、ええと・・・俺の考えてる事、お前にお見通しなのかと思ったら、ちょっとまずいと思って」
「まずいって・・・なんで?」
「いや・・・それが自分でも良く分からなくて混乱したんだよ」
「ふーん・・・・・・」

 うっかり正直に答えてしまった。
 答えてしまうだろう、あんな顔を見せられては。
 一人になりたいなら戻る、と言われた時の表情は複雑だったが、敢えて分析するなら、
それは多分「傷ついた」という感情に見えた。
 それを見た瞬間、後藤の胸は痛み、必死になって引き留めてしまった。
 達海は探るようにこちらを見た後、目線を逸らして何か考えてるようだった。
「とりあえず、オレも達海が休憩なら一緒に食いたいと思ってたし、丁度良かったよ。食べようか」
 戻らないで居てくれるようなので、ほっとして弁当を取り出し適当に座る。
 すると、達海もぺたぺたと後藤の隣にやってきて座った。

『ん・・?ぺたぺた?』

何か不自然だと思い達海を見やると、彼は裸足だった。
「お、おい・・達海!なんで裸足なんだ?」
「天気いーし、気持ちいーよ?」
「確かに気持ち良さそうだが、何が落ちてるか分からないし、踏んで足を傷つけるかもしれないだろ?」
 眉根を寄せて怪我したら危ないと心配する後藤を見て、
「大丈夫だって。さっきこの辺は何も落ちてないって確かめたから」
と笑う。それでも心配だが、彼だって子供じゃないんだし、いちいち注意なんてすることでもないかと思い直す。
「しょうがないな・・・・この辺ならいいが・・・気をつけろよ?」
「・・・・・心配性だね、お前は」

 だってしょうがない。 
 こんな些細なことでも心配になるくらい、達海のことが気になるのだから。



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