『那月・・誰よりも幸せになってくれ・・・・』
そう言って【彼】は私達の前から消え去った__。
南十字星の奇跡
翌日、那月くんは教室に現れませんでした。
放課後、部屋に寄ってみると那月くんはベッドの上に座って壁をじっと見つめていた。
部屋に入ってきた私を見ると、すまなそうな顔で小さく謝罪の言葉を紡ぐ。
「ごめんね、今日。心配・・・かけた・・よね」
「那月くん・・・」
無理に笑おうとして失敗してるような痛々しい微笑に心が詰まって、私は名前しか呼べませんでした。
「さっちゃんがね・・・・居ないんだ・・・」
「・・・・・」
「おかしいね・・・今までだって、ずっと居てくれたことに気が付かずに過ごしてきたのに・・
気づいてからは、いつもいつも傍にさっちゃんの気配があったんだ」
「うん・・」
那月くんの前に膝をついて座り、那月くんの話に耳を傾ける。
でもそれは、私に語ってるようでいて、そうでないような気がしました。
「たまに出口を塞がれて困った時もあったけど、全て僕のためだった。弱い僕を守るために・・・あたりまえのようにいつも」
「うん・・・・・」
「なのに昨日、突然いなくなってしまった。いくら呼びかけても返事がないんだ」
「なつきくん・・」
昨日、消え去る瞬間まで傍に居た私は、彼が何を望んで消えて行ったか知っている。
「わかってる。心が急に暖かくなったと思ったら、何かが消える感覚があった。
・・・・きっとさっちゃんは、僕を守るのに疲れ果てて消えてしまったんだ」
「・・え?」
疲れ果てて消えた?
「何故か判らないけど、確かに最近僕も疲れやすくなっていた。そんな僕を休ませる為にさっちゃんは無理をしていたと思う。
僕と代わる時さっちゃんはひどく消耗していたし、つらそうだったから・・・。
僕が彼の魂を勝手に生み出して、消耗させ・・そして消してしまったんだ・・・!」
「違います・・!!」
那月くんの言葉を聞いて、思わず声を上げていた。
それは違う。そんな風に思って那月くんが傷ついてると知ったら、きっと砂月くんは悲しんでしまう。
膝の上で震えていた那月くんの手を両手で包み、力を入れる。
「・・・!」
「那月くん、自分を責めないで。砂月くんは那月くんを守ることに疲れたりしてないです。本当はずっと守っていきたかった。
だけど入れ替わったりすることで那月くんが消耗するのもまた事実だから・・砂月くんは元ある場所へ・・・帰ったんです」
「元の場所へ・・・帰った・・・?」
私がそう思いたいだけなのかもしれない。
実際に消えてしまった喪失感を覚えている。
だけど、完全に居なくなったと思いたくない。
きっと那月くんの中に生きていると、そう思っていたいから。
「はい。砂月くんだって、那月くんの一部です。二人は一つなんです、今までもそしてこれからも」
「二人は・・・・一つ」
「そう思って、明日からを過ごすことは・・・・・できませんか?」
こんな言葉しか出てこない自分の無力さを呪いたい。
砂月くんに守るって約束したのに。
それでも、何の保証もない詭弁でも、那月くんを明日に向かって歩かせたい。
この思い届けとばかりに目の前の顔を見つめると、那月くんは目をつぶり頷いてくれた。
「そう・・だね。・・・ありがとう、ハルちゃん」
その声音からきっと納得はしていないだろうとわかるけど、私を心配させないためか微笑んでくれました。
「ごめんね、僕はハルちゃんにまで迷惑をかけてしまって・・」
「そんなことないです。私は迷惑なんて思ってませんから」
「・・・ありがとう。明日からはきちんと教室にも行くし、練習もするからね」
「・・・はい!」
そうして約束通り。
翌日那月くんは教室に現れ、皆と喋っているときはいつも通りの那月くんに戻ったように見えました。
その日から三日間の練習はヴィオラの入りや流れについて意見を詰めて、その演奏を完成に近付ける作業を行っていました。
・・・だから、私は気が付かなかったのです。
那月くんが・・・・・歌えなくなっていることに。
学校が休みの日。練習しようとレコーディングルームに入ると、那月くんは悲しげな顔をして楽譜を見つめていました。
おはよう、という挨拶もどこか元気が薄く無理をしている風です。
まだ、砂月くんが居なくなったことから立ち直れていないのだと分り、今日の練習はやめようかと持ちかけると、
大丈夫だと笑う那月くん。
無理をして笑う那月くんを見て無意識に頭を撫でると、正直な今の心境をぽつりぽつりと話してくれました。
「・・あなたはどこにも行かないよね・・?」
その言葉を聞いて、片割れを失った彼がどれだけの孤独にさらされているのか初めてわかった気がして、
胸が詰まってしまいました。
どうしたらこの孤独を癒せるのだろう?
私だけでは駄目なのだと思い知らされ、自分の無力さが悲しかった。
それでも傍に居ることをやめるつもりはない。
「ずっと・・あなたのそばにいます」
すがるための存在でもいい。せっかく繋がった手を、心を。
もう離したくないから。
だけど・・・那月くんは、歌を歌えなくなっていました。
どうしても声が出ないのだといいます。
「歌いたいって思うのに、歌おうとすると胸の奥に熱いものが込み上げてきて、泣きそうになって」
「どうしても気持ちを形にすることができないんです。ごめん・・・なさい・・」
そう言って悲しげに顔を歪める那月くん。
私にはその気持ちが痛いほど伝わってきました。
どうして声が出ないのかも分ってる。
慰めになるかも分らないが、ゆっくりやろう、焦っては駄目だと声を掛ける。
こんなことしか言えない自分が悔しいけれど、今出来ることなら何でもしたい。
だって砂月くんと約束したから。那月くんを守るって。
これ以上傷つかないでと祈り、自分より大きな身体を抱きしめた。
「わたしじゃ砂月くんの代わりにはならないかもしれないけど・・ずっと傍にいますから」
きっと、誰も砂月くんの代わりにはなれない。
唯一の片割れ。唯一の半身。
でも・・傍に居ることは私にも出来る。
私は・・居なくならない。
私の言葉を聞いた那月くんが、目を私に向けてくれました。
そして、ようやく笑顔になってくれました。
すると、レコーディングルームに翔君がやってきて、那月くんに手紙を渡していきました。
「もしかして、それ・・・」
その手紙が那月くん宛てだと聞いた時、私の脳裏に差出人の顔が浮かぶ。
きっと・・・砂月くんだ。
想像通り、差出人は砂月くんでした。
砂月くんからの手紙は、那月くんへの愛で溢れていました。
傍に居られた喜び、感謝、守る使命と逆に傷つけたことへの謝罪、そして・・最後のわがままと称する願いが3つ。
手紙を読み終わったら、自分を忘れること。
夢に負けないように強く生きること。
そして・・・誰よりも幸せになってくれ・・・と。
この手紙を読んだ那月くんは、私の前で初めて涙をこぼして泣きました。
どれだけ砂月くんから愛されていたのかを知り、どれほどその存在に救われ、また必要としているかを思い知ったのだと分る涙です。
「春歌が居るから俺が居なくても、もう大丈夫」
その一文を読んだ時、私は無意識に頭を振っていた。
違います!
駄目なんです。
私だけでは、本当は駄目なんです。
だけど、もうそんな言葉も届かない。
読み終わった那月くんは、目に光が宿っていました。
強くなろうと、前を向いて行こうと決めた心がまっすぐに私を向いています。
ほら、やっぱり砂月くんの力はすごい。
少しばかりの悲しみと大いなる安堵を抱えた心を隠して那月くんに向き合う。
心の中で砂月くんにありがとうとお礼を言い、那月くんの額に軽くキスを贈りました。
この日から、私達は卒業オーディションまで心を一つにして、猛練習をし当日に挑みました。
そして、卒業オーディション当日。
「これが、本当の僕。夢を・・夢を叶えに行ってきます!」
那月くんは、人格変更のきっかけにもなっていた眼鏡を外し、ステージに向かいました。
本番の彼は、練習のどの時よりも伸びやかな声で、情熱的で・・終わった時、会場はスタンディングオベーションの波でした。
そうして・・・私達は、優勝を勝ち取ることが出来たのです・・!
続く